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樹木希林のプロフィール
関連項目 プロフィール
母は神保町でカフェ「東宝」を経営していたref松井清人『オカン、おふくろ、お母さん』 文藝春秋、2006年、71-73頁ref。市ヶ谷にある千代田女学園中学校・高等学校千代田女学園に入学後、演劇部に在籍しその傍ら薬剤師を目指していたが、大学受験直前にスキーで足を怪我したため、大学進学を断念ref浜美雪『笑いの女神たち』白夜書房ref。
1961年に文学座に入り、「悠木千帆」名義で女優活動をスタート。1964年に森繁久彌主演のテレビドラマ『七人の孫』にレギュラー出演し、一躍人気を獲得refなお、このドラマで樹木は森繁の影響を強く受けたらしく、後に森繁は樹木の演技を見て「あれは俺の演技だ」と語ったという。森繁久弥『大遺言書』より。ref。1966年に文学座を退団した後も、個性派女優として多くのドラマ、映画、舞台に出演。20代の頃から老人の役を演じ、出演するドラマ、映画などでは老け役が当たり役だった。
1974年にTBSテレビTBSで放送されたドラマ『寺内貫太郎一家』で、小林亜星が演じた主役の貫太郎の実母を演じた。実年齢は小林より10歳以上若く、手を隠すため劇中は手袋を外さなかった。寺内家がドタバタ騒ぎになった際に、沢田研二のポスターを眺めて「ジュリーィィィ!!」と腰を振りながら悶えるシーンで脚光を浴びる。
1977年4月1日、『日本教育テレビ』(NETテレビ)から『テレビ朝日』(全国朝日放送)への会社名称変更に伴い放送された、社名変更記念特別番組『テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継』の中の競売オークションコーナーで、売る物がないということで自身の芸名「悠木千帆」を競売にかけた。名前は2万2千円で世田谷 (世田谷区)世田谷の飲食店店主に売却され、その後「樹木希林」に改名。売却された旧名は2004年に山田和葉に譲渡された(悠木千帆 (2代目)悠木千帆も参照)。
1981年、夫の内田裕也に無断で離婚届を区役所に提出され、離婚無効の訴訟を起こし勝訴。その後は1年に1回連絡を取り合う程度の関係となったが、近年いつdate2010年11月では連絡も1カ月に1回となり、共に旅行に行く機会も増えているというrefcite news title樹木希林、死意識して対面を決意 夫婦の戦いにピリオド newspaper産経新聞 date2009-02-20 urlhttp:sankei.jp.msn.comlifebody090220bdy0902200808000-n1.htm accessdate2009-02-24ref。
熱心な法華経徒であることも有名で、希心会という教団の信徒である。現在の芸名はこの希心会の…
