

投稿された酒井法子の画像
まだ登録されていません
酒井法子の画像・動画・作品
同じカテゴリの女優・タレント・グラビアアイドル
酒井法子のプロフィール
経歴
生い立ち
1971年(昭和46年)、福岡県福岡市生まれ。2歳の時に両親が離婚し、その2年後には実母と死別、酒井は福岡市を離れて叔母の家に預けられた。小学校6年生の3学期、実父の再婚に伴って福岡に帰郷、福岡市立大名小学校を卒業した。福岡市立舞鶴中学校時代にはソフトボール部に所属し、中学校3年生時の1985年夏には、9番右翼手で全国高等学校総合体育大会ソフトボール競技大会福岡県大会に出場し、準優勝している。
アイドルとしてデビュー
1985年(昭和60年)10月、オーディションオーディション企画「86 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(主催・資生堂)に出場、グランプリは水谷麻里が受賞したが、酒井には「BOMB!賞」が授与されたref昭和60年10月26日開催 この際、準グランプリを岡寛恵岡谷章子、Momoco賞を畠田理恵が、それぞれ受賞しているref。本来このコンテストには、このような賞はなく、芸能事務所 サンミュージックの専務が酒井を見初め、「『彼女の』才能を試してみたい」との希望で急遽用意されたものだったrefこの賞はコンテストの後日、昭和60年11月22日に授与されたref。こうして、酒井の芸能界デビューは決定したref name"ninkidukrinohousoku"相澤秀禎 『人気づくりの法則』(東洋経済新報社 1988年4月23日) ISBN 978-4492553091ref。
同年12月、福岡市から上京した酒井は、サンミュージック社長(当時)・相澤秀禎の自宅での下宿生活を始め、学校も東京都内の中学校に転校した。
アイドル歌手
酒井にとって初めての仕事として、テレビドラマ 『春風一番!』(1986年1月- )への出演が決定、1985年年末からその収録に参加した。同時期、雑誌 『Momocoモモコ』が企画したアイドルグループ「モモコクラブ」のメンバーにもなった(桃組出席番号1482番)。
同年4月、同誌が開催したイベント「86 モモコ・パーティー」ref昭和61年4月29日開催ref におけるオーディション、『第2回 ミスモモコクラブ』で、「ミスVHD賞」を受賞した酒井は、同11月に VHDソフトref当時、日本の電気メーカー、日本ビクターが開発したVHDは、LDなどとの規格争いの最中だったref 『YUPPIE』を発売したref昭和61年11月21日発売ref。VHDソフトを用いたアイドルのデビューは世界初、また、この作品中で酒井は、挿入歌 『お願いダーリン』を歌っている。
翌1987年(昭和62年)、正式なレコードデビューをするや、酒井は若者らの人気を獲得し、3枚目のシングル『ノ・レ・な・いTeen-age 』は、同年行われた…
