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五月みどりのプロフィール
公式サイト 略歴
父の大野房次郎は鹿児島県出身で、江戸川区平井 (江戸川区)平井で大野屋精肉店を経営ref name"この母ありて"木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 131-132頁ref。母は山形県舟形町出身ref name"この母ありて"。その一方で、自ら芝居小屋を持つほど芸事が好きだった。
1956年(昭和31年)、ニッポン放送『ものまねのどじまん』で優勝。 同年5月に五月みどりの芸名で初ステージを踏む。
1958年(昭和33年)11月、「お座敷ロック」でレコードデビュー。1961年(昭和36年)5月、「おひまなら来てね」発売。それまでの歌手にはなかったチャーミングな美貌とともに、きれいな「ちりめんビブラート」を生かしたこの歌は大ヒットとなる。翌1962年(昭和37年)にはNHK紅白歌合戦(第13回NHK紅白歌合戦第13回)に初出場。
その後も1963年(昭和38年・第14回NHK紅白歌合戦第14回)、1964年(昭和39年・第15回NHK紅白歌合戦第15回)と通算3回連続で紅白出場を果たした。ほか「一週間に十日来い」「忙しくても来てね」「明日も来てね」(来てねシリーズ)、「温泉芸者」「熱海で逢ってね」(芸者シリーズ)などのヒット曲がある。
1965年(昭和40年)に結婚して引退するも、離婚して復帰。1970年代以降はタレント、女優としての活動に重心を移す。1975年(昭和50年)には主演ポルノ映画『五月みどりのかまきり夫人の告白』が話題になった。その後、40歳を過ぎても日活ロマンポルノ作品に主演し、若々しい肉体と大胆な演技で世に衝撃を与えた。熟女ヌードのさきがけとも言える。
1976年(昭和51年)に番組がスタートした『クイズダービー』の初代2枠レギュラーとして出演。勝率は4割6分8厘(平均4勝6敗〜5勝5敗ペース)だった。レギュラー降板後も度々5枠のゲスト解答者として出演したが、出題が五月のレギュラー時より難しくなった事もあり、勝率は2割台に下がっている。又同番組最終回には、出場者(ギャンブラー席)として、初代3枠レギュラーの黒鉄ヒロシ、初代5枠レギュラーのガッツ石松とともにトリオを組んで登場した。しかし、賭け方が下手だった事もあり(大橋巨泉後任の司会者で、最終回時5枠解答者席に座った徳光和夫に何故か4回も賭けたものの、徳光の成績は8戦全敗だった)、賞金獲得額は0円となっている。
1989年(平成元年)には二科会二科展入選。個展を開催したこともある。
近年では、ミツカン「追いがつおつゆ」のコマーシャルメッセージCMで、菊池桃子との共演…
